「発達障害」という言葉の向こう側

生きづらさと向き合う

発達障害という言葉の重さと軽さ──ある言葉をきっかけに見つめ直したこと

「発達障害は存在しない」という言葉を耳にしたとき、
胸の奥がふっとざわつきました。
発達特性を持つ子どもを育て、自分自身もその特性と共に生きてきた私にとって、
この言葉はとても軽く扱えるものではありませんでした。

けれど、時間をかけて向き合ってみると、
その言葉の奥にある “意図” に気づく瞬間がありました。

■ 発達障害という言葉が広がりすぎている気がして

今の社会では「発達障害」という言葉が、
とても広く、そして時に軽く使われているように感じることがあります。

困りごとがあればすぐに「発達障害かも」と言われたり、
診断名だけがひとり歩きしてしまったり。

でも本来、発達障害は
ひとりひとりの特性がまったく違う、とても繊細な言葉です。

同じ診断名でも、
得意なことも、苦手なことも、必要な支援も、まったく違う。
その“違い”こそが大切なのに、
言葉だけが先に走ってしまうことに、私は少し戸惑いを覚えてきました。

■ 自閉症と発達障害の境界が曖昧になっていること

私が子育てをしていた頃、
発達障害と自閉症はもっとはっきり区別されていました。

  • 発達障害:知的な遅れがない
  • 自閉症:知的な遅れがあり、自閉的な特性を持つ

けれど今は、その境界がとても曖昧になっています。

親御さんが悪いわけではありません。
ただ、自分の子どもの特性を深く知る前に、言葉だけが先に選ばれてしまう
そんな場面を見ると、少し切なくなることがあります。

■ 私が子どもに伝えてきたこと

私は娘に、発達障害を隠したことはありません。
むしろ、こう伝えてきました。

  • 発達障害は「あなたの個性の説明」
  • 病気ではない
  • できないことは、できる方法を一緒に探せばいい

もし「病気だから仕方ない」と思ってしまえば、
心が閉じてしまう気がしたからです。

特性は、その子の一部であって、
その子のすべてではない。
そう伝えたかったのだと思います。

■ 発言の奥にあった意図を知ったとき

「発達障害は存在しない」という言葉は、
当事者にとっては強く響くものです。

けれど、その言葉の背景には、

  • 病気として扱いすぎる風潮への違和感
  • 個性として見つめ直したいという思い

そんな意図があったことを知りました。

その瞬間、私の中でふっと何かがほどけたような気がしました。

■ 障がいをアイデンティティにしないということ

発達障害という言葉に、
自分の居場所を見つける人もいます。
それは決して悪いことではありません。

でも私は、
障がいを“自分そのもの”にしてしまうと、心が自由になれない
そんな感覚を持っています。

発達障害は、その人の一部。
その人の価値を決めるものではありません。

名前をつける前に、
その人の光や温度を感じられる社会であってほしい。
そんな願いがあります。

■ おわりに

発達障害という言葉は、
人を救うこともあれば、縛ることもあります。

だからこそ、
言葉の重さと軽さを、
私たち一人ひとりが丁寧に扱っていけたらいい。

今回の出来事をきっかけに、
私はあらためて「個性として向き合う」ということの大切さを感じました。

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