傷ついた心をそっと抱く闇と、そこに生まれた小さな光
私は子どもの頃、何度もいじめを受けてきました。小学校の一年生、そして五・六年生。中学生の頃は、目立たない存在で、友達も多くありませんでした。
小さな頃から太っていて、いろんな意味で「目立つ子」だった私。家庭ではネグレクトがあり、清潔感やひらがな、簡単な計算、人付き合いの基本など、学校生活に必要な土台を誰からも教わらないまま小学校に入りました。
なじめなかったのではなく、なじめる準備を与えられていなかった──今ならそう言えます。
さらに私はADHDで、忘れ物が多い子でした。だからといって、いじめていい理由にはなりません。でも40年前のあの時代は、暴力もいじめも「仕方ない」とされてしまう空気がありました。
そんな環境の中で育った私は、「人嫌いだけど人当たりは良い」という少し不思議な性格になりました。人が怖いのに、嫌われないように笑ってしまう。そんな自分が長い間、苦しかったのを覚えています。
SNS時代のいじめを見て思うこと
最近は、いじめの様子がSNSに投稿されることが問題になっています。でも、いじめられた側の私から見ると、どうしてもこう思ってしまうのです。
「嫌なら、最初からいじめなければいい」
もちろん、動画の拡散には法律的な問題があります。でも、そもそもいじめそのものが「傷害」や「暴力」にあたる行為です。
それなのに、学校や教育委員会は「知らないふり」をすることが多く、守られるべき子どもが守られないままです。いじめられた子が転校させられるという話も、珍しくありません。
大人たちが証拠を残させないように、スマホや録音機を厳しく管理しているという話を聞くと、胸が痛くなります。
いじめっ子といじめられっ子、その後の人生
X(旧Twitter)で、こんな言葉を見かけました。
「いじめっ子は大人になって教師や警察になる。いじめられっ子は心に傷を抱えたまま社会でつまずくことが多い。」
すべてがそうだとは言いません。でも、私はこの言葉にどこか納得してしまう部分があります。
必要なのは“罰”ではなく“理解と再発防止”
私はいじめを許すつもりはありません。あれは人の心を深く傷つける行為です。
でも同時に、いじめっ子をただ罰するだけでは何も変わらないとも思っています。
本当に必要なのは、
- いじめられた子が安心して過ごせる環境
- いじめた子が「なぜそうしたのか」を理解し、変わっていける支援
この両方がそろって、初めて「いじめのない場所」に近づけるのだと思います。
小学校六年生の時にくれた、ひとつの救い
そんな私にも、小学校六年生の時だけは救いがありました。学年で一番の人気者だった植田(仮名)くんが、私をかばってくれたのです。
帰りの会で、私が受けていたいじめについて、彼は堂々と声を上げてくれました。誰も言えなかったことを、たった一人で言ってくれた。その勇気は、今でも私の心をあたため続けています。
もしかしたら、私が今も「優しいイケメンさん」に惹かれてしまうのは、この時の記憶が残っているからかもしれません。もちろん、そのせいで女子からの嫉妬が増えたのですが……それでも、あの時の救いは確かに私を支えてくれました。
植田くん。あの時、本当にありがとう。あなたは外見だけじゃなく、心までイケメンでした。
同じように傷ついたあなたへ
もし今、いじめで苦しんでいる人がいたら伝えたいことがあります。
あなたの痛みは、あなたのせいじゃない。
あなたは悪くないし、あなたが感じている苦しさは、本当に大切なサインです。どうか自分を責めないでほしい。
あなたの中にも、きっと誰かがくれた小さな光があるはずです。その光を、どうか消さないで。あなたが生きてきた証だから。

