仕事に疲れた帰り道、
ふと足を止めた先に「猫の集会」があったら——
あなたはどうしますか。
これは、心がすり減った一人のサラリーマンが、
夜の空き地で出会った猫たちに
人生相談をする、少し不思議で優しい物語です。
猫たちの言葉は、
ときに鋭く、ときにあたたかく、
そしてどこかユーモラス。
読み終えたあと、
あなたの心も少しだけ軽くなりますように。
俺はその日、猛烈に疲れていた。
体もだが、心もだ。
毎日毎日、朝早くに満員電車に揺られ、
会社に着けば、俺のスケジュールも見ずに
仕事を押し付けてくる上司が待っている。
断れば「そっちは中止にできないの?」と来た。
同僚たちの「俺くん大変だな」という目が痛い。
こんなに働いても、税金で消えていく。
生活ギリギリの手取りだ。なのに控除なんか
真綿で首を絞められるような人生ってのも、つらい。
そんなことをぐちぐち考えながら、
夜遅くなった道を歩いていた。
ふと、空き地で猫たちが集まっているのが見えた。
噂に聞く“猫会議”ってやつだろうか。
キジ、サビ、黒、白、ハチワレ……
まるで猫図鑑みたいだ。可愛い。
見入っていると、ひときわ大きな茶シマのボス猫が
こちらを見た。
「おい、人間。お前も入るのか?」
猫が人間の言葉を話した。
驚いたが、疲れていたせいか、
俺は素直にうなずいてしまった。
「ハイ……お願いします……」
猫たちの会議は、
「角の家の爺さんが棒持って走ってきて怖かった」
「ネコ好き婆さんが入院して餌がもらえない」
などの情報交換が中心だ。
悩み相談も時々あるが、
ボス猫が華麗に捌いていく。
——こんな上司だったらなあ。
そう思ってしまった。
「人間。お前は何を話すんだ?」
急に振られ、俺は新人みたいに右往左往した。
猫たちの視線が一斉に向く。怖い。
外灯に照らされた猫たちの影が揺れる中、
俺はぽつりと悩みを打ち明けた。
ボス猫は黙って聞いていたが、
やがてまっすぐ俺を見て言った。
「要するに、あんたのボスは
自分勝手な押し付け野郎なんだな」
身もふたもないが、図星だった。
「ついでに、自分が楽したいタイプだ」
さらに追い打ちをかける。
「でもよ、他の奴らは
そのボスが悪いって理解してくれてるんだろ?」
俺はうなずいた。
「そこはありがたいと思ってます。でも俺……
2年前にその上司のせいで心を壊して、
半年休んで引きこもってたんです。
結局また繰り返しかと……」
ボス猫は目を閉じ、しばらく考えた。
「そいつより強いやつはいないのか?」
「います。部長です。
心を壊した時は、その人が窓口になってくれました」
「病院には行ってるのか?」
俺はうなずいた。
医者はいつでも指導書を書くと言っている。
ボス猫は尻尾をゆっくり揺らした。
「人間。あんた、何をそんなに悩むことがあるんだ?」
胸の奥がきゅっと痛んだ。
「でも上司は変わらないし、俺はつらいし……
もうどうしたらいいか……!」
気づけば、目がにじんでいた。
「周りはあんたの仲間だろう。
ボスのボスも気にかけてくれてる。
医者も味方だ。
それは全部、あんたの“武器”じゃないのか?」
つばを飲み込む。
「優秀な奴に仕事を押し付けて楽をする奴が出世する。
そんなの、人間の世界じゃよくある話だ。
でもな——」
ボス猫はにやりと笑った。
「猫は、嫌な相手には近づかない。
生きるための苦労はするが、
無駄な苦労はしない。
あんたもそうなりゃいいのさ」
その時、白い母猫が
おずおずと前足をあげた。
「アタシ、この子たちが苦しむの嫌です」
子猫たちが不安そうに寄り添う。
ボス猫はうなづいた。
「そうだな。
生きるための苦労と、無駄な苦労は違うんだぜ」
他の猫たちも口々に言う。
「餌探す苦労はするけどよ、
人間にナデナデされる苦労はしないぜ」
「私はナデナデ好きよ。でも怖い人間もいるからね」
「ナデナデは苦労するもんじゃないって!」
いつの間にか、ナデナデ論争が始まる。
気づけば、ナデナデをめぐって討論が熱くなっていた。
尻尾をバシバシ振る猫、前足で地面を叩く猫、
子猫を守るように抱えながら首をかしげる母猫。
空き地は少しだけ明るい空気に包まれた。
ボス猫が俺を見た。
「おい、人間さんよ。
犬どもみたいにしっぽ振ってばかりいないで、
俺たちみたいに生きりゃいいのさ」
その言葉が、夜の闇に静かに溶けていった。
***
翌朝。
スマホの目覚ましが鳴り、俺は目を開けた。
飼い猫のアクアが、
脱ぎ捨てたスーツをくんくん嗅いで「にゃあ」と鳴く。
それは、俺が他の猫と触れ合った時に見せる
いつもの嫉妬の声だった。
思わず笑ってしまった。
——夢じゃなかったんだ。
胸の奥に、昨夜の猫たちの声がふっとよみがえる。
「俺たちみたいに生きりゃいいのさ」
アクアの温もりと、あの言葉が重なって、
心のどこかが少しだけ軽くなった。
「……よし。逆らってみるか」
スマホを耳に当て会社の保留音を聞きながら、小さくつぶやいた声は、
昨日までの俺より、ほんの少しだけ強かった。
終わりに
夜の帰り道、ふと足を止めたくなる瞬間。
そんな時は、そっと耳を澄ませてみてください。どこかでボス猫が、あなたを見守っているかもしれません。
「無駄な苦労はしない」
その言葉を胸に、まずは一度深呼吸。
明日は少しだけ、猫のように軽やかな足取りで歩いてみませんか?
